マイク・ディスファーマー。

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leica M6 summicron35mm HP5

「癒しや息抜きを求める人程、其れが頑張る理由になっていて到達点や目標がそこにしかなく、本当に癒しや息抜きを必要としている事は少ないと思う。むしろ其れを口にしない人達は、目標が癒しや息抜きでは無いので、本来そのような人達程休んだ方が良い傾向に有ると思う。」byおいら

ビルフリゼールを聴きながら、ディスファーマーの写真集を視る。なんとも贅沢な時間を過ごしております、カメラマン大野です。

今日の個人的焦点は、肖像写真家のディスファーマー。
彼については2年前位に知り、方々を調べた物の情報は一貫して少なく、又同じような内容の物しか手に入れる事は出来なかった訳だけども、それだけの情報にしても十分過ぎる位の奇人・変人ぷりで、刹那にしてファンになり、今に至る訳です。

さて、ディスファーマー氏はどのような写真家で有ったのか。
劈頭に一言でまとめると奇人・変人です。

彼が生きている内に、彼の写真が有名になる事はなく”unsung”死後に認められた類いの其れです。
撮影の内容は記念写真。主に家族写真を撮る写真館を営んでいました。ある片田舎で急に建物を作り始めたと思ったら、写真館を始めたそうです。

一切の過去や、経歴、家族迄を捨て、町の住人とは接点を持たず友は1人もいない生活。
夜中に成ると、黒い服装で出かけ町の人を待ち構えては脅かすような事をしていたそう。
名前も、自分の本名である日本訳農夫、という名が気に食わず、役所に登録し直した名前がディスファーマー。変人です。

生涯自分の為の写真を撮り続け、自宅スタジオで誰にも知られず息を引き取ります。
その後、自宅から発見された大量のネガが評価され、彼の死後はじめて有名写真家の仲間入りを果たす形に。

何を思い写真館を営んでいたのか理解に苦しむが、村人の接点を全て断ち切り変人になる事で撮れる写真。もしかしたら、天才で無い事が分かった彼は、残りの人生全てをプロディースし、別の人格を作り上げ其処から生み出すもの、生み出せる物を探していたのかもしれない。その気持ちは何となく分かる。

肝心の彼の写真は、正直ぞっとする程素晴らしい。そもそも何処で技術を習得したのかは不明だが、かなりの使い手であり、其れに無表情やどことなく不信感や恐怖を抱いてる町の人の記念写真が重なる。
スタジオは、片面をガラス張りにし、十分に自然光を取り入れられるよう設計。これは、その後に登場するアービング・ペンも行った手法だが、ペンより早い段階でこれを実践している。
更に、背景は塗りっぱなしの壁、それと椅子。当時よく使われたインテリアとしての椅子ではなく、只背丈の小さい子を、自分の視線に合わせるだけの為の椅子。
撮影のスタイルは、写真を視れば分かるが、恐らく必要最低限の言葉以上は発しない。
更には、自分が納得いく迄モデルを付き合わせ、1時間も動かないよう指示を出したりしたらしい。

そんな、彼の何処か不思議な魅力で一杯の写真。どこかで視る機会が有ったら、そのバックグラウンドも合わせて視て欲しい。

しかし、町の人々はそんな人に何故写真を撮ってもらっていたのだろう。
答えは簡単で、其処しか写真館が無かったらしい。

只、それにしてもそのような奇人で有ったも写真をお願いしていたと言う事は、やっぱり写真を残すという事の大切さを知っているからだからこそ、なのだろう。

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