出張撮影だったりスタジオ撮影だったり。

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写真のはなし。

有る巨匠に「生まれ持ったセンスが無い。どれだけ頑張っても無駄」
そう言われた事が有ります。そのジャンルの写真に関しての言葉ですが、磨いて育つ限界と、生まれ持った才能の違いを痛感し、色々を諦めた瞬間です。

そんなもの、頑張れば、、と良く言う人がいますが、頑張り続けると見えてくる限界は有ります。
それを踏まえたうえで続ける、それはそれでセンスですけど。

最近は、写真のセンスについて考えております。

有る広告写真の巨匠の講座での話ですが、小学一年生位までの子供に写真を撮らせると、プロの視点から見た天才写真を撮ります。どの構図も黄金比という、フォトグラファーであれば誰でも意識する鉄板構図に当てはまってます。
黄金比は、そもそも自然界の作り出す究極の形とも言われ、それに当てはまる構図が綺麗に見える、云々という物。
なぜか、子供はそれが撮れるのです。

見たまま、生きるままに、大人の無駄な知識を排除すると、よりシンプルな最高のモノが見えてくる、と。

只、それも小学一年生を過ぎたあたりから、自然と撮れなくなり、下手になる。視野に余計なモノがインプットされ、構図を複雑にしていくんでしょう。

なので、本来素晴らしい写真を撮りたければ、そのとき見ていた景色こそが自分の究極なんだろう。
それを、今でも思い出せ、気持ちすらも完全にシフトする、そういう写真を撮れる人がセンスが有る人なんだろう。
思い出せない、無念。

しかしながら、それ以降に見た風景や、その知識、それが無ければ撮れないものの方が多いはず。
スタジオでの撮影然り、記念写真。

そこでは、シャッターを押してしまった責任が大きい。
今後の人生にずっと寄り添っていくであろう写真。

みせかけの綺麗さで撮るだけなら、ライティングやカメラの使い方、適度な声かけで十分出来る。

只、お客さんが喜んでくれる綺麗な写真を撮る。それでもいいのかもしれない。
喜んでくれている訳ですし。

その写真に奥行を感じない写真をよく見る。光の調整から何からしっかり出来ていて、表情も良い。でもそれだけ。

上辺だけ綺麗な写真。

喜んで貰えたとしても、それはやっぱり撮りたくない。
慣れれば、上手くなれば、綺麗に撮れるのは当たり前。
只、慣れていても、お客さんは全て別の人たち。
どんな条件でも、どんな内容の撮影でも、当たり前のように其の人達にとって最高の写真で有る為に。
写っていないその後ろ側がしっかり見えてくるような、そんな記念写真。これからはもっともっと沢山撮っていこうと、思います、本当。

最近、写真の撮り直しをよくします。無論自分が撮ったものではなく、どこかの写真館で撮ったものの撮り直し。
正直、そのフォトグラファーの状況や気持ちを裏切るようで余り気持ちの良い撮影では無いです。
二番煎じなので、より撮りたい内容なども引き出せますし。
只、先日見せていただいたその写真は余りに酷かったです。
恐らく、予約がギッチりの中、余り経験のない宣材写真というジャンルの撮影をしたのでしょう。
被写体を引き出すのが目的で有るライトが、逆に見せたくない部分を浮き立たせ、無理なうえに、無駄なポージングのせいで、体のラインを崩し、レンズはズームでしょう、こだわりの無い焦点距離を使っているせいで、体のバランスがおかしい。
写真の用途は、人それぞれです。
その写真をモデル事務所の面接に持っていくなんて言ったら高い確率で書類選考から外れます。
そこまで考える責任も無いのに、シャッターを押してはいけないと思います。
写真にはチカラが有るのです。
その人以下に見せてしまうチカラ。
その人以上に見せてあげられるチカラ。
はたまた等身大のその人を見せる事も。

新たな一歩は、限りなく大きい。

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