深瀬昌久という写真の考え。

どーも、フォトグラファーの大野智嗣です。

理念というか、姿勢というか、すくなからず写真に対しての何かについて思う事の多い写真家の中に、「深瀬昌久」という方がいます。

広告系の写真家やウエディング専門、はたや物専門など様々な中において、妙に親近感が湧くのは実家が「写真館」という事が劈頭にあり。
別に僕は実家は写真とは一切関係ない職業ですが、現在写真館を経営する身として、写真館で育つという環境には人一倍興味が有る訳で。

特に、写真館というのは一般の人をメインのモデルとして撮影する訳で、特に求められるのは広く浅く目の前の人が満足してくれる撮影・写真・結果。

なので、「私は私」的思考の押しつけがましい写真では、中々理解は勝ち取れないし、その写真が本当に大切な思い出になるとは思えない訳です。

しかしながら、写真家はすくなからず自分の持つ写真のセカイが有り、それを撮影時に織り交ぜる事で他の写真家との「差」みたいな物が生まれているはず。

そのセカイが余りに色濃く反映されていて、最早単純な「写真」という言葉では片付けられない深瀬ワールド。

正に私小説という言葉が近いその写真は、一度見て以来抜け出せない何か特別な思いが有り。

決して気持ちの良い写真では無いし、今撮っている様なお祝いなどにはほど遠い「苦しい」写真。

有る評論家が例えていた言葉を借りると「取り返しがつかない」写真。
身をふるわせながらそんなふうに叫んでいる写真。

僕が思う所の記念写真とは常に「取り返しのつかない」写真。
上の表現から続くと、どうも重く聞こえてしょうがないけど、やっぱり例えるならばそれ。

只、取り返しがつかないといっても、深瀬昌久のいう毎日・毎シャッター・一枚に対しての身を削る様な事では無く、日々この瞬間が最高の瞬間的なポジティブな意味で。

それを常に考えて、ネガティブとポジティブで反対の位置に居る様な気はするけど、心のどっかに深瀬ワールドを抱えながら今日も記念写真を撮るのです。

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